(1)神浦港(瀧神社)から長師(真福寺)コース
(所要時間は、最短の距離を歩いた場合で、拝観・見学時間は含まない)

コース

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【瀧神社】
平安時代初期より、忽那嶋が牛馬放牧地となった時、牛頭天王を守護神として祀ったと伝えられている。寿永2年(1183)藤原兼平の時代、源義経に従って忽那水軍は壇ノ浦に出陣し、大勝利をおさめた。兼平は、神浦の虎が滝に社殿を造営し、牛頭大明神宮と称したとある。神社境内に亀の格好をした石がある。
由来には、「昔、高島の海岸に沈んでいた大石が、干潮になると波の上に現れ、その形が亀の形によく似ていたので、珍石の趣味のあった正賢寺の克譲和尚は神浦村の杉田庄屋に話をして、大勢の漁夫と牛の力により、神浦の神社へ運び上げ奉納した」。
瀧神社 瀧神社

【忽那義範公表忠碑】
南北朝時代、南朝方に与した武将・忽那義範の功績を称える石碑。神浦・瀧神社横にある。忽那水軍の黄金時代は忽那義範の時で、この時期、忽那水軍の船団は、東は紀伊水道、西は周防灘、南は日向灘まで勢力を及ぼしていたと記録にある。この碑は、大正4年11月10日建立。
忽那義範公表忠碑

【びしゃもん堂】
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子懐良親王は、九州官軍を統率する征西大将軍に任ぜられ延元4年(1339)中島に来島し3年間滞在。忽那義範が神浦館でお世話をしたとされる。びしゃもん堂が「神浦館」という説もある。ゆかりの地名としてオンバ(御場)や皇ノ川などが残る。
また集落の小高い丘にある。忽那義範が京都の鞍馬から迎えたとされる毘沙門天像が安置されている。
4年に1度のご開帳の時以外は見ることができない。次は平成22年の8月。応長元年(1311)に始まった。
びしゃもん堂 びしゃもん堂

【天満神社】
中島に4箇所ある天満神社の1つ。拝殿内に当時の村落を鳥瞰図法で描かれた「宮野全景絵額」がある。明治35年(1902)4月、願主・制作、新藤金作。
天満神社

【釣島購求記念の碑】
宮野・天満神社境内にある。昔、人が住んでいない時代、宮野の人たちが釣島を購入して、船で耕作に出かけていたころのもの。
釣島購求記念の碑

【貞治の板碑】
長師の真福寺境内にあり、「貞治二年□月七日」とある。小浜の「文中の板碑」は南朝方の年号であるのに対して、貞治は北朝の年号である。※貞治二年(1363)
貞治の板碑

【四国霊場八十八ヶ所お砂踏み道場】
長師真福寺本堂横にある。弘法大師を中央に八十八ケ寺のご本尊が並び、超ミニ八十八ケ所参りができる。
四国霊場八十八ヶ所お砂踏み道場

【秋山好古書の忠魂碑】
日露戦争に出陣した若き兵士たちの霊を慰める忠魂碑。長師姫が浜海岸にある。
秋山好古書の忠魂碑

【姫が浜海水浴場】
延長約500mの砂浜が続く海岸。夏には観光案内所、売店、食堂、貸しボートがある。宿泊もできる。毎年8月にはこの海岸でトライアスロン中島大会の水泳種目が行われる。この近くには、大串キャンプ場がある。
姫が浜海水浴場